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<156>「人は人、自分は自分」

2019年12月25日
うちはうち、よそはよそ

うちはうち、よそはよそ

 「人は人、自分は自分」
 僕が子どもの頃、母がよく言っていた。
 この言葉にまつわる思い出は、あまり楽しいものではない。たとえばお祭りで、他の子どもたちが露店でお菓子を買ってもらうのを見て、「僕も」とせがんだ時、母に「うちは買いません。人は人、うちはうち」とバッサリ切り捨てられたものだ。
 念のため、母に電話で訊いてみた。
母「そうそう。みんながやっていてもうちは関係ない、というときに言っていた。〇〇(僕の妹)が高校生のときに『パーマかけたい。クラスのみんながかけてる』と言うので、『みんなって誰か言ってみなさい』と聞いたら5人くらいしかいなかったから、ダメって言ったのよ」
僕「…(後半の話はちょっと余計だな)」
母「あと、あなたがテストで90点くらいのときに『平均は80点だったからいいんだ』と言うから『テストは100点満点に作られてるんだから、みんなが何点だろうが100点目指しなさい』という意味で『人は人、自分は自分』って言ったこともあったね」
僕「…(なんという教育ママっぷり!)」
 なお、こういうオチでコラムに紹介することについて、母の承諾を得ております(笑)。
 ともあれ、同じような状況で「人は人、自分は自分」と子どもに言ったことのある親もいると思う。「自分もみんなと同じに」と何かを要求してくる子どもを親が撃退するときの決めゼリフと言ってもよい。
 一方、親の側で「よその子どもたちがみんなやっているから、うちの子にもやらせなければ」とつい思ってしまうことはないだろうか? もしそうだとすると、子どもにはこう見えるに違いない。「うちの親は、子どもがみんなと同じにしたいと思うことはさせてくれずに、親がみんなと同じにさせたいと思うことだけは押し付けてくるな」と。
 「人に合わせようとせず、自分は自分の道を行く」という考え方は、この連載コラムで僕が述べてきたことと通じる。何かの判断が難しいときに、誰かの意見を聞くことはもちろんあるし、みんなの考えが自分の考えと一致する場合もある。だから、みんなと同じであることが、いけないわけではない。しかし、「みんなもそうだから」というのが最大の理由で、他のことを何も考えずに迎合するのは、自立とは言えない。「人は人、自分は自分」という決めゼリフは、子どもの要求をはねのけるとき以外に、「自分の頭でしっかり考えて行動しなさい」という意味で使いたい。そのためにも、親自身が自分の考えをしっかりと持っておきたいものだ。
 (本田秀夫・信州大医学部子どものこころの発達医学教室教授)

「ドクター本田のにじいろ子育て」は第2、4水曜日に掲載します