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<155>子の発達、競い合わないで

2019年12月11日
隣の芝生は青い?

隣の芝生は青い?

 育休中の娘から、家族のグループLINEにメッセージが来た。「ママたちはなぜ子どもの発達具合で競うのかね?」
 最近、役所の子育て課で開かれている0歳児の親子向けの集まりに参加し、そこで知り合った母親たちと話す機会があるらしい。
僕「どんなふうに競うの?」
娘「『寝返りしますか?』と聞いてきたり、誰かの子が人見知りしたら、自分の子は全然してないのに『うちも最近人見知りでーっ』と言ったり」
妻「オムツが取れた子の親が『自然に取れちゃったのよ。お宅もすぐよ』などと話すことは、よくあるからね。子どもが何かできたという話を誰かがすると、その親がいないところで別の親が『今日から特訓よ、きっと〇〇ちゃんも密かに特訓してたのよ』と言ってたりね」
 …長年母親たちと接点の多い妻の言葉にはリアリティーがある。
 他者と自分を比較することを、全くしないという人は珍しい。人と競うことは、決していけないことではない。競争心が健全な向上心につながる場合も多い。でも、子どもの発達のことで親が競うのは、健全とはいえない。
 人と競い、特訓してよいのは、本人が自分でそれをやりたいと思ったときである。スポーツ選手が試合に勝ちたいと思って人一倍練習することや、入学試験に合格したいと思って猛勉強するのは、何ら問題ない。むしろ必要なことである。しかし、子育てで競う場合、子ども自身の意志とは無関係に親が勝手に競うことになる。知らず知らずのうちに、子どもの個性的な育ち方を親が否定し、本来その子には向いていないことをノルマとして押しつけたり、親の満足のために子どもを従わせたりすることになる。子どもの発達で競い合う親の姿勢は、いずれ子どもを自分の所有物のように扱い、本人の意志と無関係に子ども同士で競い合わせようとさせる方向に進む。古代ローマ時代、見せ物として奴隷が戦わされていたのと同じような状況が、現代の一部の家庭に存在すると言って過言ではない。
 他の子どもと自分の子どもを比べたくなる親の気持ちもわかるし、比較すること自体は悪いことではない。でも、比較する目的は、自分の子どもの個性を知るためである。「親の希望通りに育ってほしい」「他の子より早く〇〇ができるようになってほしい」「せめて横並びで」などと考えたくなる気持ちがある方は、できれば子育ての専門家に相談してご自身の気持ちを整理することをお勧めする。でも、そんなこと言ったら子育て相談が溢れかえるのかな…? 
 (本田秀夫・信州大医学部子どものこころの発達医学教室教授)

「ドクター本田のにじいろ子育て」は第2、4水曜日に掲載します