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<145>「普通」の物差しは不要

2019年07月10日

 私事で恐縮だが、先月末に孫が生まれた。今後、このコラムがときどき子育てでなく孫育ての話になるかもしれないが、どうかご容赦のほどを。
 父親側も母親側も、どちらの祖父母にとっても初孫なので、盛り上がり方が尋常でない。今は便利なもので、両親と両家の祖父母が写真や動画を共有してどんどん更新できるようなスマホのアプリがある。連日のように大量の写真と動画がアルバムに追加され、それに皆でコメントし合っている。寝た、起きた、手を上げた、下げた、笑った、泣いた、でいちいち大騒ぎだ。仕事で子育ての相談を受けるときは「落ち着いて」などと保護者に言っているが、あれは他所の子だから言える話であって、自分の孫となるととても冷静になどなれない(笑)。
 僕からみると娘の娘なので、「娘が赤ちゃんのときはああだった」「この子はこうだ」などと比較する会話も多い。娘と孫娘とで似ているところに「親子だなあ」と思い、違うところを見つけると「親子でも違うんだなあ」と思う。生まれて1週間ほどでも、すでに行動に個性があることを身近で再確認し、感慨深い。
 ついでに、「個性」について考えてみた。たとえば、「Aちゃんは目を覚ますと泣いてばかりいるので、常に誰かがあやす必要がある。Bちゃんは起きても滅多に泣かずに大人しい」という違いがあるとする。よく泣く子は「元気があっていいね」と言われるが、連日のように一晩中誰かがあやしていないといけないほどだと、親の負担感が強くなる。大人しい子は「泣かないでえらいね」と言われるが、あまりにも大人しいと「大丈夫だろうか?」と心配される。
 「元気があっていい」「泣かないでえらい」と言われる程度だと「個性」だが、「とても手がかかる」「虚弱体質だろうか」などと思われるほどだと「個性」という言葉で語りにくい。「個性」で済むか済まないかの間には、「普通の対応でよいかどうか」という線引きがある。普通の対応で済む程度なら多くの人は肯定的だが、普通の対応でうまくいかないと、異質なものとして否定的な感情を抱きがちだ。
 本当は、「普通」という枠を作らなければ、もっと子育てが自由にできるはずだ。「普通ならこう」という物差しを持たずに、それぞれの子どもごとにオーダーメードの接し方を考えていけば、否定的な感情の一部は防げるように思う。
 …ということを考えながらも、目の前の孫の一挙手一投足に大騒ぎしているのがまた楽しいものだ。(本田秀夫・信州大医学部子どものこころの発達医学教室教授)

「ドクター本田のにじいろ子育て」は第2、4水曜日に掲載します