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<144>不要な体罰はらむ危険

2019年06月26日

 先日、改正児童虐待防止法が衆参両院で可決された。2020年4月から運用される予定である。今回の改正では、親による子どもへの体罰の禁止が明記されたことが話題になった。諸外国でも、すでに多くの国が法律で親の体罰禁止を明記している。
 一方、「しつけのために体罰は必要だ」と主張する親が、まだまだたくさんいる。そのような親の多くは、自分たちも親から体罰を受けた経験がある。いわゆる「虐待の世代間連鎖」に陥った人たちだ。
 体罰は一種の洗脳である。体罰を繰り返し受けた子どもは、大人になったときに「自分がここまで成長できたのは、体罰のおかげだった」と信じ込みやすい。それを否定されると、自分だけがつらい仕打ちを受けたという現実に直面しなければならず、いたたまれない。だから、後ろめたい感情を強く押し殺して体罰を正当化したくなる。
 また、繰り返し体罰を受けた人たちは、情緒不安定になりやすい。イライラしたときに誰かを攻撃すると、その瞬間はスカッとした気持ちになり、一時的に憂さが晴れる。表向きは子どものためを装いながら、実は自分の憂さ晴らしとして子どもに暴力をふるうようになる。
 「今の自分があるのは、あのときの体罰のおかげだった」と思っている人たちには申し訳ないが、他のやり方でも今の自分になれた可能性は十分にある。世の中には、体罰をほとんど受けることがなくてもちゃんと自立した大人になっている人が、たくさんいるのだ。
 「多様な子育て」という視点から、「体罰の必要な個性の子どももいる」という理屈を言う人もいるかもしれない。たしかに、ルールを守るのが苦手な子どもがルールを破って誰かに被害を与えたときなどは、何らかの罰を適用しなければならない。しかし、それは、体罰でなければならないわけではない。自分が行ったことがまずいことだったと反省し、今後の自分の行動に生かそうと思えるような教訓を得るのが、本当の罰である。体罰には、有無を言わせない恐怖で行動を無理やり抑え込もうとするところがある。これは、本当の反省ではないため、体罰する人がいなくなったとたんに問題が再発する。
 体罰だけでなく、強圧的・支配的に子どもを支配してしつける人たちに共通の特徴は、その人が目の前からいなくなったとたんに、子どもの問題行動がむしろエスカレートすることだ。「うちの子は体罰が必要だ」「うちの子のしつけは、自分がいちばんうまくできる」と主張する親は、実はとても危険だ。
 (本田秀夫・信州大医学部子どものこころの発達医学教室教授)

「ドクター本田のにじいろ子育て」は第2、4水曜日に掲載します