ホーム
最新
山梨
全国・海外
スポーツ
Eye
安心・安全情報
おくやみ・催し・人事
写真・動画
分かる・知る
ビジネス

<140>一律の宿題は差別行為

2019年04月24日
当たり前のこと

当たり前のこと

 遠くが見えにくい人は、眼鏡をかける。身体の大きい人は、大きな机と椅子を使う。ごく当たり前のことだ。
 学校でも、眼鏡の使用は認められているし、身体の大きさに応じた机と椅子が用意されている。一方、このような「当たり前」が通用しないことも、学校にはある。その代表が、小中学校の宿題だ。
 同じ年齢でも身長に個人差があるように、学力にも個人差がある。それなのに、宿題はなぜか全員同じものをさせられる。内容と量が同じだと、その科目が得意な子どもは短時間でできてしまい、苦手な子どもは長時間かけても終えられない。これは、不公平だ。
 もともと勉強の得意な子どもは宿題などなくても勉強ができるし、分かりきったことを宿題でやらされると興味を失う。苦手な子どもには長時間の苦役となり、勉強嫌いになるだけだ。勉強の得意な子どもと苦手な子どもにとって、「宿題は、百害あって一利なし」と言える。
 どんな人でも興味のあることが必ずあり、興味があることについては自ら調べ、練習し、上達しようとする。ただ、残念なことに、何に興味を持つか、何が得意になるかは、個人差が大きく、親や教師の思い通りにはいかない。小中学校は、人生で必要なことのごく一部しか扱わないのに、日本中の子どもたちが一律に同じことをさせられる。運よく学校で習うことに興味が持てる子や習うペースが合っている子どもには、宿題も楽しく負担なくできる。しかし、学校で習うことがその子の興味とずれる子どもやペースが合わない子どもにとって、宿題は苦行となる。つまり、小中学校において全員に一律に同じ宿題を与えるのは、差別行為そのものだ。
 本当は、学校の集団の場で教わるだけでなく、ひとりで考えながら学ぶ機会を家で持つことは、重要だと思う。もし宿題を出すのなら、個々の子どもの学力に応じて内容や量が調整できるようにするべきだ。勉強が得意な子どもや興味のある子どもには、より向上心を持てるような課題を与えることによって、もっと興味が湧いてくる。勉強が苦手な子どもには、その子が自分の力で短時間のうちに達成できる課題を与えることによって、自信低下と勉強嫌いになることを防ぐことができる。
 少なくとも義務教育である小中学校の宿題は、内容や量を個々の子どもに合わせて調整するのが公正なやり方だ。それができないのなら、宿題は廃止すべきだ。子どもたちのこころの健康を守る立場として、切に訴えたい。(本田秀夫・信州大医学部子どものこころの発達医学教室教授)

「ドクター本田のにじいろ子育て」は第2、4水曜日に掲載します