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<133>自分なりの子育てを

2019年01月09日

 子どもたちに負けず劣らず、母親たちも十人十色。それぞれの個性に合わせていろんな子育てがあって良いはずだ。でも、総じて「子育てとはこうあらねばならない」という意見は多く、さまざまな形で母親たちはプレッシャーを受ける。
 明治時代に作られたとされる「良妻賢母」という言葉がある。儒教的な思想から出てきた言葉で、「女性はこうあらねばならない」という男尊女卑的価値観が込められていた。さすがに今、「妻は夫に従順であらねばならない」などと無条件に説くような人は少ないが、それでも女性は男性に比べて有形無形の束縛があるように思う。「良い母親はこうあるべき」という話は、今もあちこちで聞かれる。
 中には、女性同士が「良い母親像」の枠をはみ出ないように互いを牽制し合っているように見える部分もある。家の中を綺麗にしておくことや、見栄えの良い弁当を作ることなどをやれている母親が何となく「良い母親」と思われやすく、自分が寝坊して子どもを遅刻させてしまうのは「良くない母親」と思われやすい。学校で集団の和を乱す生徒がいると、なぜか「家庭でどんなしつけをしているのですか?」と母親がとがめられる。集団の方にこそ何か問題があることだって、決して珍しいことではないのに。
 子どものこころの健康を守る立場から言うと、「良い母親像」の条件を満たすことは、目標にすべきことではない。中には、「良い母親」と人から思われることを子育て最大の目標にしているように見える母親もいるが、これは結局、自分が人からよく思われたいということであって、子どものためを思っているとは言えない。その人が良い母親かどうかは、成人したときに子どもが自分の母親を「良い母親だった」と思うかどうかでしか、結果が測れないものだ。どんなにだらしなくて寝坊をしていても、子どもから見て良い母親と見えていれば、それで構わない。
 精神科を訪れる人たちで、自分の母親を「良い母親だった」と思えない人たちに多いのは、「自分は母親から可愛がられなかった」と感じている場合だ。逆に言えば、子どもを可愛がり、楽しく安心して過ごせる場を作りさえすれば、だらしなくても寝坊しても構わないのだと思う。世間の「良い母親像」にとらわれる必要は、全くない。
 唯一、子どもを可愛がることがどうしてもできない、難しいという場合だけは、母親自身のこころのケアが必要だ。自分自身の相談やカウンセリングの場を探してみることをお勧めする。(本田秀夫・信州大医学部子どものこころの発達医学教室教授)

「ドクター本田のにじいろ子育て」は第2、4水曜日に掲載します