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<119>不明点残らない教育を

2018年06月13日
よくできました

よくできました

 日本は仏教の影響が強い国だ。多くの人は、折に触れてお経を聞く機会がある。お経は釈迦の教えを記録したものだそうだが、お坊さんがお経を読んでいるのを聞いて、即座にその意味が分かるという人は少ないと思う。
 お経の内容を解説した本もある。読んでみると、たしかに生きていく上で大切なことが書かれている。でも、解説書を読めば分かりやすく書いてあるのに、なぜお経そのものは、普通の日本語とは異なる難しい言葉を使うのだろうか? 人々に真理を説くのであれば、もっと分かりやすい言葉で直接説けばよいのに。一方、葬儀のときのお経が難解でなく分かりやすい言葉だと、違和感を抱く人が多くなるかもしれない。このような場合のお経には、内容よりも死者を見送るための儀式という意味が求められているのだろう。分かりやすい言葉で真理を解かれるのと、難解な言葉でつづられたお経を聞くのとを比べたとき、われわれはなぜか後者の方をありがたがってしまう習性がある。
 この「難解なお経をありがたいと思って黙って聞く」習慣は、わが国では子どもの教育にも影響を及ぼしているように思う。学校の授業などは、先生が話したことを授業の中で即座に理解する方が、絶対によい。分からないことがあればその場で質問して、授業が終わったときに分からないことが残らないようにすべきだ。しかし実際に多くの学校では、授業中は先生が一方的に話し、生徒は聞くだけで、分からなくても質問などしない状態になっている。分からないことがあれば家で予習復習して補えばよい、と思う人が多いかもしれない。でもそれは、「お経の内容は分からなくても仕方ない。意味を知りたければ自分で解説書を読む」というのと似ているように思う。分からないことがあっても気にせず、その時間をやり過ごすということを、われわれは心のどこかで当然と思うようになってしまっている。それは、はるか昔の仏教伝来の頃にさかのぼり、難解なことをありがたがる文化が形成されてしまったことと、無関係ではないように思う。
 本当に中身が分かっている人は、相手に合わせて、その人が分かる言葉にかみ砕いて教えることができる。相手が分かるかどうかはお構いなしに難しい言葉を使う人は、本当は自分もよく分かっていない場合がある。分からないことを当たり前、それがありがたいなどと思わず、教わったことをその場で理解し、未消化なことを残さないような授業が保証できるような教育文化をつくっていきたいものだ。(本田秀夫・信州大医学部子どものこころの発達医学教室教授)

「ドクター本田のにじいろ子育て」は第2、4水曜日に掲載します