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<116>援助とお節介 どう違う?

2018年04月25日
光の向こうへ…

光の向こうへ…

 「子どものために何かをしてあげるのは、親として当然だ」という考えは、もっともなことだ。でも、子どものためならば何をやってもよいというわけではない。
 誰かのためを思って行う行動には、「援助」「応援」「助言」などのように「たすける(援ける、助ける)」という文字が含まれるものが多い。赤ちゃんが立ち上がろうとしているとき、親が子どもの手を持って支えてやるのは、まさに子どもを助ける行為だ。
 一方、親は「子どものため」と思っているのに、子どもからは「余計なお世話」、「お節介」などと言われる場合もある。子どものためを思ってやったことなのに、子どもから反発されたという経験を、多くの親がしているはずだ。それがないと断言できる親がいるとしたら、ものすごくよくできた親か、子どもに反論の余地を与えない高圧的な親のいずれかだろう。
 援助とお節介の違いはどこにあるのだろう? わかりやすいのは、それをされたときの子どもの感想の違いだ。援助された子どもは「助かった!」と感じるが、お節介を焼かれた子どもは迷惑や困惑を感じる。子どもが「助かった」と感じるのは、未来の展望が開けたときだ。ゴールが見えてきたとき、自分の将来に可能性を感じられるようになったときなど、何かの呪縛から解放され、前向きになれる。一方、子どもが「お節介」と感じるのは、何かをされたことで、かえって混乱し、行き詰まりを感じたときだ。このような場合、子どもは希望が見えず意欲が低下する。
 「子どもは弱い存在だから、大人が子どものためになると思ったことは子ども自身の意志とは関係なくやってよい」という考え方を「パターナリズム(父権主義)」と言う。古今東西、父親は高圧的になりがちで、子どもに有無を言わさず強引に物事を進めようとする人が多いので、この言葉が生まれたのだろう。でも、母親も細かい指図をあれこれする場合がある。これはあくまで印象にすぎないが、「子どものため」と強調する親に限って、実は子どもへのお節介が過ぎることが多い気がするが、いかがだろうか?「こうするのが子どものため、こうなってくれるのがこの子の幸せ」と言っていても、実は親の希望を満たそうとしているだけではないか?
 親がいくら援助しているつもりでも、子どもが迷惑だと思えば、それはお節介だ。子どものためを全く考えないのも困るが、やり過ぎるのもよくない。子どもが「やってもらって助かった」と思えるよう、さじ加減に気をつけたい。(本田秀夫・信州大医学部子どものこころの発達医学教室教授)

「ドクター本田のにじいろ子育て」は第2、4水曜日に掲載します