ホーム
最新
山梨
全国・海外
スポーツ
Eye
安心・安全情報
おくやみ・催し・人事
写真・動画
分かる・知る
ビジネス

深紅のブレザー“生みの親”望月靖之さん、郷里・鰍沢に深い愛着

2017年09月28日 11時06分
望月靖之さんが収集した五輪関連の品約300点が並ぶ富士川町スポーツミュージアム=富士川町鰍沢

望月靖之さんが収集した五輪関連の品約300点が並ぶ富士川町スポーツミュージアム=富士川町鰍沢

望月靖之さんが私財を投じて建て替えた鬼島神明社。社殿手前に望月さんの胸像が立つ=富士川町鰍沢

望月靖之さんが私財を投じて建て替えた鬼島神明社。社殿手前に望月さんの胸像が立つ=富士川町鰍沢

望月靖之さんの名刺の見開き内側に書かれたプロフィル。左下には使用した年月とシリアルナンバーが刻印され、内容からもユニークな人柄が伝わってくる

望月靖之さんの名刺の見開き内側に書かれたプロフィル。左下には使用した年月とシリアルナンバーが刻印され、内容からもユニークな人柄が伝わってくる

1964年東京五輪などで日本選手団のブレザーを手掛けた望月靖之さん(富士川町教委提供)

1964年東京五輪などで日本選手団のブレザーを手掛けた望月靖之さん(富士川町教委提供)

 1964年の東京五輪。開会式で日本選手団が着用した深紅のブレザーをデザインした鰍沢町(現富士川町)出身の望月靖之さん(1910~2003年)は、ミシン1台から仕立職人になり、のし上がった。東京・神田にテーラーを開店し、当時スポーツ界に多くの選手を輩出した日本大の指定商となり、人脈を広げた。そして約40年にわたって、五輪をはじめとする世界規模のスポーツ大会の公式服を担当することになった。貧しかった郷里での生活をバネに成功を収めたが、心は常に郷里の鰍沢に寄せ、地元への尽力を惜しまなかった。望月さんが古里で残した功績に目を向けてみた。〈植松利仁〉...