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<77>環境を個別化 心育てる

2016年09月14日
みんな同じ、じゃなくていい

みんな同じ、じゃなくていい

 いま、パラリンピックが開催されている。心身に何らかのハンディがある人たちのためのスポーツの祭典だ。
 ところで皆さんは、パラリンピックとオリンピックの両方に出場している選手がいることをご存じだろうか? 先のオリンピックの卓球で日本とも対戦したポーランドのチームには、右側の肘から先がない選手がいた。この選手はパラリンピックにも出場する。それ以外にも、リオだけでなく過去にも、両方に出場する選手が実は何人もいる。残念ながら、日本ではまだそのような選手は出現していない。
 前回、階級制の話をしたが、心身のハンディに応じて対戦を設定するパラリンピックは、オリンピックよりもさらに階級制が明確だ。オリンピックでは格闘技以外のほとんどの競技が「無差別級」の状態であるから、オリンピックとパラリンピックの両方に出場する選手は、さしずめ階級制と無差別級の両方に出場するようなイメージである。
 これらの選手たちの発言をニュースなどで見聞きして感じるのは、彼らに特別な気負いがないことである。前述のポーランドの卓球選手も、「生まれたときから右手がないので、それをハンディと思ったことはない」と述べている。自分の身体の特徴に合わせて自然体で階級を選び、実力があるから無差別級(=オリンピック)にも淡々と出場する感じだ。
 人の体格や能力は多様であり、皆が異なっている。そうした多様な個人の特徴に応じた環境設定をすることによって、人は気負いのない自然体の心を得ることができる。一方、個性を無視した「無差別級」だけの生活環境だと、その環境と個人との適合度の具合によって、平静な生活を送れる人もいれば、毎日がストレスの連続となってしまう人もいる。その結果、心の健康を害してしまう人が増える。
 子育てにおいて最も大事なのは、心の健康だ。能力に違いがあっても、健康な心を育てることはすべての子どもに可能なはずだ。多少のことでも平常心を保てるような健康な心を育てるためには、安心して生活できる環境を保障する必要がある。われわれはつい、環境条件を皆と同じにすることを重視しがちである。学校の一斉教育などがその典型だ。しかし、個性を考慮せずに同じ条件を強要すると心の健康が損なわれる。環境を「普通」(みんな同じ)にすると心の健康が普通でなくなり、環境を「普通でなく」(個別化)すると心が「普通」(自然体)になる。逆説的なので気づきにくいが、とても重要な真理だと思う。
(本田秀夫・信州大付属病院子どものこころ診療部 診療教授)

「ドクター本田のにじいろ子育て」は第2、4水曜日に掲載します