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<74>ルール作り権利を守る

2016年07月27日
みんなのために…

みんなのために…

 ルールは何のためにあるのだろうか?
 人がやりたいことを何でも自由にやれば、必ずどこかで誰かを傷つけたり損害を与えたりする。ルールが必要なのは、このようなときだ。ルールを作るとは、誰かの権利を守り損害を防ぐために、人の自由を制限することなのだ。問題は、誰の権利を守り損害を防ぐことが目的なのか、そして誰の自由が制限されるのかである。
 古来、ルールの多くは、権力者の権利を守り損害を防ぐ(そればかりか、利益を得る)こと、権力のない人たちの自由を制限することを目的として作られてきた。一方、近代の民主主義国家では、社会的弱者に基本的人権を保障するという観点から、憲法のように権力者の自由を制限するルールが設けられている。
 「自由を奪われたくない」という考え方から、ルールをなるべく少なくしようとする考え方もある。たとえば経済的自由をできる限り制限しないという考え方を「新自由主義」という。「自由」という言葉が魅力的ではあるが、これは自由競争を過熱させ、気をつけないと競争力の強いごく一部の人だけが自由を享受し、社会的弱者はむしろ権利を奪われ損害を受ける可能性が高まる。すべての人が一定の権利を保障されるためには、やはり最低限のルールは必要だ。
 ルールの必要性を判断するには、それを誰かが破ったときに誰の権利が奪われ、損害を受けるかを考えるとよい。ルールを破っても誰の迷惑にもならないのであれば、そのルールは無意味である。たとえば公立中学校の校則で、服装や髪形にまで制限が及んでいることなどは、その一例だ。最近は減っていると聞くが、以前は中学生の男子は丸刈りと決められていた地域もあった。服装や髪形がどうであっても、誰にも迷惑をかけなければ問題ないはずだ。このようにルールを守らせること自体が目的と化している校則を残すのは、学校(教師)が権力者として生徒を支配するためと考えるのが最も妥当だろう。生徒に学校を選ぶ権利が保障されていない公立中学校が無意味なルールで生徒の自由を制限するのは、時代錯誤であり、基本的人権の侵害である。
 家庭でも同じである。快適に暮らすためになんらかのルールを設けている家庭は多いと思う。ルールを作るのは親であることが多いが、親が子どもを支配するためのルールにならないよう、家族のメンバー全員の権利が公正に守られるよう互いにちょっと譲り合うためにこそルールを作るのだ、という気持ちを忘れないようにしたい。
(本田秀夫・信州大付属病院子どものこころ診療部 診療教授)

「ドクター本田のにじいろ子育て」は第2、4水曜日に掲載します