ホーム
最新
山梨
全国・海外
スポーツ
Eye
安心・安全情報
おくやみ・催し・人事
写真・動画
分かる・知る
山梨日日新聞社インフォメーションサイト

<1>一人息子、母と2人 「自分がやるしかない」

2016年2月18日
母親に話しかける小池幹男さん(左)。職場の介護休職制度を利用し、母と向き合う日々を送る=市川三郷町市川大門

母親に話しかける小池幹男さん(左)。職場の介護休職制度を利用し、母と向き合う日々を送る=市川三郷町市川大門

 介護用ベッドに横たわる母親の耳元に声をかけた。「ごはんだよ。お母ちゃん」。よく煮込んだおかゆをスプーンですくって口元まで運ぶ。口の端から、こぼれ落ちてしまう。ささいなことにいら立ちが募る。しかし、頼れる人はいない。「自分がやるしかない」と言い聞かせた。
 大手電機メーカーに勤務し、都内で単身赴任をしていた小池幹男さん(63)=市川三郷町市川大門=は2014年春、母親(95)の介護に直面した。気付いた時には、急に食事を取らなくなっていた。
■  □  ■
 母親の衰弱という事実が、にわかには受け入れられなかった。近所でも有名な「肝っ玉母ちゃん」。祭りに行けば露天商とやり合うほど気が強く、つい半年前には元気に庭の柿の剪定をしていた。
 有給休暇などを利用し、介護と仕事の両立のため東京と山梨を行き来した。家で一人過ごす母親の姿を思い描きながら、都心の職場へ通う。自分のいない間に万が一のことがあれば、と不安になった。仕事か、介護か。一人っ子の小池さんにとって母親はかけがえのない存在だ。「家族の代わりはいない」。最長で2年休める会社の介護休職制度を利用して、介護に専念することを決めた。
 営業職が長い仕事人生。外向的で「人脈こそ財産」と、子どもが中学1年生の時はPTAの役員を務め、地元の祭りに積極的に参加した。会社で社員教育を任されるようになると、部下にも「仕事をする上でも絶対にプラスになるから」と学校や地域の行事に参加するよう促した。
 そんな多忙な生活は一変した。朝から晩まで顔を合わせるのは母親。介護が始まってからは外に出るのがおっくうになった。近所の人に母親の具合を聞かれるのもつらかった。元気だった母が衰弱していく様子を知られたくない。玄関の鍵は閉めたままにした。
 責任感を胸に仕事に励んできたように、「自分ならばできるはずだ」と介護にも真剣に向き合った。自らの不手際で衰えた母に何かあってはいけないと、神経をとがらせた。深夜、母親のベッドから大きな音が聞こえたような気がして、寝ていた隣の部屋から駆けつける。母親の寝息に耳をそばだて、懐中電灯で点滴のしずくが落ちているか何度も確かめた。
■  □  ■
 孤立感が深まる2人だけの時間、気の休まらない介護-。小池さんの心は徐々に追い込まれ、うつ病と診断された。処方された薬を飲みながら介護と向き合った。母親が「治る」ことはないだろう。いつまでこの生活が…。そう思うと、言いようのない不安に襲われた。
 たびたび家に来てくれる訪問看護師が支え。母の世話をした後にお茶を飲みながら、自分の話に耳を傾けてくれた。「みているから、外の空気を吸ってきたら」。何げない会話を日々重ねるうちに、少しずつうつの症状も良くなっていった。
 介護休職の終了期限まで10カ月。その先はどうすればいいのだろう。「離職」の2文字がちらつく。複雑な心境を悟られないよう、母親の前では平静を装う。「今日は暖かくなるみたいだよ」と言って南側の障子を開ける。介護の終わりは見えない。明日はどうなっているのか、想像さえできない。

 社会から孤立するきっかけが至るところに潜む現代。第1部「介護の果てに」では、認知症の親をみるため退職した人や、その淵に立つ人、地域や企業の取り組みなどを取材し、「介護離職」の現状と支援のあり方を考える。
〈「孤人社会」取材班〉

 この企画へのご意見や感想をお寄せください。記事で紹介させていただくことがあります。郵便番号400-8515、甲府市北口2の6の10、山梨日日新聞社編集局「孤人社会」取材班(ファクス055・231・3161、電子メールkikaku@sannichi.co.jp)。