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<56>そそっかしい子にも支援

2015年10月28日
「かたち」もいろいろ

「かたち」もいろいろ

 そそっかしい子どもは、いつの時代にもどこの地域にも必ずいる。その多くは、大人になっても性格や行動特徴にどこかそそっかしさが残るものだ。
 そそっかしいためにさまざまな生活の場面で支障をきたす場合、「注意欠如・多動症(ADHD)」と診断される。今はそそっかしさを改善するための薬もあり、昔に比べてADHDと診断されて治療を受ける人や、学校や職場で特別な支援を受ける人が増えている。
 自分の置かれている状況を的確に把握しておくことは、とても重要だ。例えば身長が低い人は、生活の中で不便を感じるときがある。高い所にある物を取るためには踏み台が必要だ。踏み台がなければ、他の人に手伝ってもらう。このとき、「身長が低い」ということを自他ともに認識するのは、当然のことだ。同様に、ADHDの人が何らかの支援を要するときには、そそっかしいことを自他ともに認識することによって、はじめて支援が促進される。
 ところが、身長が低い人に踏み台が必要なことには誰も疑問を抱かないのに、ADHDの人に支援が必要であることには、なぜか異論を述べる人がいる。そそっかしさは叱責や訓練で直さなければならないという人たちだ。
 叱責や訓練で身長が伸びないのと同じように、そそっかしさは叱責や訓練ではなくならない。ADHDの子どもを叱ったり、「ミスをしない」などと無理な課題を出して、できないと罰を科したりすることは、身長の低い子どもに踏み台もなしで高い所の物を取らせようとし、できないと懲罰を科すことと同じで、虐待と言ってよい。
 そのような人に限って、そそっかしい人のように昔から必ず少しはいたタイプの人たちに診断名をつけることを、「レッテル貼り」と批判したりするので、困ったものだ。「身長が低いこと」をレッテル貼りと言わないように、「そそっかしいこと」、あるいは「ADHD」もけっしてレッテル貼りではない。
 「レッテル貼り」という言葉には、その名称で呼ばれる人に対する蔑視が感じられる。もっと言えば、「人はみな同じ規格でなければならず、そこから外れる人は欠格者である」という意識だ。でも、実際には人は多様であり、身長の低い人もいればそそっかしい人も存在する。劣っているのではなく、少数派なだけだ。
 そそっかしいことで誰かが困っているのであれば、そのことをきちんと認識し、ふつうの生活を送る権利を保障するための支援策を講じるべきだ。それも、できるだけ人生の早い時期から。診断は、そのためにある。
 (本田秀夫・信州大付属病院子どものこころ診療部 診療教授)
=第2、4水曜日に掲載します