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<53>「おしっこ」訴える意義

2015年09月09日
とりあえずついてきて

とりあえずついてきて

 小さい子どもは、排せつが自立していても尿意をもよおすと親のところにきて「おしっこ」と訴えることが多い。親がついて行っても、特に手伝いを求められるわけではない。トイレで子どもを見守るだけだ。子どもがトイレのドアを閉めてしまい、親は外でただ待っているだけの場合もある。ドアを閉めてひとりで用が足せるのであれば、親を連れていく必要はない。それでも、親が外にいることがわかっていると安心なのだ。そのような時期を経て、最終的にはひとりでトイレに行けるようになる。
 自分ひとりでもできるのに、親にそばにいてほしい、見守っていてほしい。すでに何度もできていることなのに、今回うまくできたらまた褒めてほしい、ねぎらってほしい。それが、多くの子どもに共通の心情だ。このようなことを何度も繰り返しながら、子どもは信頼できる大人に守られているという安心感を得る。安心が確固たるものになったとき、初めてひとりでトイレに向かうようになるのだ。
 ひとりでできるようになったのに何度も親のところに来られると、付き合うのが煩わしく感じる親もいるだろう。でも、そのような子どもの行動には、新しい行動にひとりで立ち向かう勇気を得る前提となる安心感を育むという重要な意義があるのだ。
 もうひとつ、この行動には「自分の予定を人に伝える」という意味もある。これは、社会人の基本である「ホウ・レン・ソウ」の原初的な形だ。皆さんのご家庭で、お父さんが家族に行き先も告げずに1週間の出張に出掛けてしまったら、行方不明者として捜索願を出す騒ぎになりかねない。このように、能力としてはひとりでできることであっても、自分の予定をしかるべき人に伝えておくのは、社会人として必須のことだ。
 子どもにいろいろな能力を身につけさせることは確かに大事だが、それを学ぶときに誰かがちょっとだけ手伝ってくれると楽しく学べる。あるいは、誰かがそばにいると安心して学べる。そのような体験を幼児期から積み重ねることこそが、将来大人になったときの「ホウ・レン・ソウ」につながる。人生の最も早い段階でそれを体験できるのが、トイレなのかもしれない。ひとりでトイレに行けるようになる前の段階で、ひとりで排せつできる能力を身につけるのと同時に、親にトイレに行くつもりであることを告げるという行動が出現するのは、人間がまさに社会的生き物であることを象徴するようだ。
 たかがトイレ、されどトイレである。
(本田秀夫・信州大付属病院子どものこころ診療部 診療教授)
=第2、4水曜日に掲載します