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<47>身体の暴力と心の暴力

2015年06月10日
ココロにも目を

ココロにも目を

 身体と心は、どちらの方が重要なんだろう?
 子ども同士のけんかは日常茶飯事だ。些細なきっかけでけんかになるが、いつの間にか収まり、何事もなかったかのようにまた一緒に遊んでいる。そのような繰り返しを通じて、子どもたちは主張することや意見が対立したときの交渉の仕方、解決の仕方を少しずつ学んでいく。多くの場合、大人が介入する必要はないが、時に仲裁が必要となることがある。
 けんかの仲裁では、すぐに叱るのではなく何が起こったのかをしっかり把握する必要がある。どちらの子どもにも必ず言い分があり、どちらも相手が悪いと主張する。しかし多くの場合、強く暴力をふるった子どもや先に手を出した子どもがより厳しく叱られる傾向にある。「たとえ相手が何か気に障ることを言ったとしても、先に殴った方が悪い」という説明をする大人が多いようだ。この発言は、果たして正しいのだろうか?
 殴られた子どもは、確かにそのことについて被害者ではある。しかし、その子がもし先に相手の心をひどく傷つける発言をして、それが暴力を誘発したのであれば、その子は「言葉の暴力」の加害者でもあるのだ。休み時間にひどい言葉の暴力を浴びて、ついカッとなって相手を殴ったら、担任がやってきて殴った自分だけが一方的に非難され、それ以来登校できなくなった、という子どもの診察をすることが時々ある。自分の言い分を聞いてもらえず一方的に非難されたと子どもが思うのであれば、担任も言葉の暴力に加担したことになる。殴られて身体に傷を負った場合は診断書が出るとスムーズに補償されるが、言葉の暴力を受けて心に傷を負った場合、診断書が出てもスムーズに補償されることはめったにない。
 身体的暴力は、時に生命の危険や深刻な後遺症を伴うので、決して許されるべきでないことは確かだ。でも、それに比べて言葉の暴力がもたらす心の傷は、あまりにも軽んじられてはいないだろうか?学校で受けた言葉の暴力によって生じた心の傷を解消することは、とても難しい。何年もの治療を要することも珍しくない。
 言葉の暴力への対応をおろそかにすると、子どもは「手さえ出さなければ何を言っても許される」と思う。近年、「表現の自由」と「名誉毀損」を混同する大人が多いことの裏には、心より身体を優先する価値観を子どもの頃に学びやすい時代背景があるように思う。
 子どものけんかの仲裁では、身体の暴力と心の暴力の両面に対して常に公正な態度で臨むよう心がけたい。
(本田秀夫・信州大付属病院子どものこころ診療部 診療教授)
 =第2、4水曜日に掲載します