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<46>「できない」が当たり前

2015年05月27日

 前回、長い階段で母親のペースについていけずによろめいて母親にしかられた2歳くらいの男の子について書いた。自分に全く非がないのにしかられる理不尽さに、彼はまだ気づいていないだろう。もし彼がこんなしかられ方を日常的にされているとすると、自分に自信がもてず、いつも他者から責められることにおびえるような性格に育ってしまうのではないかと心配になる。
 発達心理学者のピアジェは、幼児期の特徴のひとつに「自己中心性」を挙げている。この時期の子どもは、大人のように他者の視点で客観的に自分を振り返ることができない。見えている世界はあくまで自分中心だ。この時期は、自分が主役、自分が中心の世界の中で十分に心が満たされる必要がある。親の役割は、できるだけ子ども中心の視点に立って見守ることだ。ところが階段で見かけた母親は、子ども中心の視点をもたず、大人のペースについて来られない子どもをしかっていた。
 このような、子どもに「自分中心の生活」を保障しない親子関係は、決して珍しくない。その理由を二つ挙げてみる。ひとつは、「まだ子どもだからできなくて当たり前」という寛容の精神が欠如してきたことである。近年、子どもに少しでも早くいろいろなことを教えるのが良いことだという風潮が強まっている。
 その結果、昔に比べると子どもが何かをうまくできないことに対して大人が寛容でなくなっている。子どもたちは、まだ小さいうちから大人のペースに合わせることを常に強要される。自分中心の世界で、自分のペースでじっくりと物事に取り組むことを経験せずに、いつも高度な要求をされ続けて育つと、自分に自信がもてない大人になる。
 もうひとつの理由は、大人たち自身が生活に追い立てられ、気持ちのゆとりを失っていることだ。階段で見かけた母親はかなり急いでいて、子どもの歩みを見守るゆとりがない印象を受けた。
 たまたまこの日は朝の支度が遅れてしまい慌てていたのかもしれない(そうであったと思いたい)。しかし、これが日常ということもあり得る。いま、わが国では、大人たちが常に何かに追い立てられていて、子どもの気持ちに立つことが難しくなっているように思えてならない。
 子どもたちに健全な「自己中心性」を保障することは、健康な心の成長に不可欠である。われわれ大人は「まだ子どもだからできなくて当たり前」という寛容の精神を忘れず、気持ちにゆとりをもって子どもの立場を理解するようにしたいものである。
(本田秀夫・信州大付属病院子どものこころ診療部 診療教授)
 =第2、4水曜日に掲載します