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<43>「迷惑」ではなく「権利」

2015年04月08日
みんなで楽しく

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 知人宅の近所の公園で、入り口の前に子どもたちが自転車を放置するため、他の人たちが公園に入れないことが問題となったそうだ。その知人から「『人に迷惑をかけてはいけない』ということを各家庭で子どもたちにもっと教えるべきだと思うが、どうだろう?」と、意見を求められた。その気持ちはよくわかるが、僕は「人に迷惑をかけてはいけない」ということを大人が子どもに教えるべきではない、とあえて述べたい。
 「迷惑」とは、ある人の行為によって他の人が不利益をこうむったり、不快に感じたりすることである。何をもって不利益、不快と感じるかは人によって異なるため、すべての人が迷惑を感じないということは難しい。例えばメディアが政権を批判すれば、権力者は迷惑と感じる。かといって、権力者に迷惑をかけないようにと気遣って批判的な報道を自粛するのは、国民の知る権利を侵害し、国民に迷惑をかける。
 また、「迷惑」という言葉は、通常どちらかといえば多数派の人たちや立場の強い人たちに対して使われ、社会的弱者に対してはあまり使われない。車いすでも移動しやすいように道路の段差をなくすとき、「車いすの人に迷惑がかかるから」ということは少ない。
 大人が子どもに「迷惑をかけるな」と教えると、「多数派や目上の人に迷惑をかけるな」というニュアンスが必ず加わる。この価値観が強すぎると、大人になったときに多数派や立場の強い人に無条件に迎合して、立場の弱い人の迷惑は顧みないという全体主義的・封建的な態度が形成されてしまう。権力者にとっては都合がよいが、社会的弱者は自分の不利益を述べる場を失い、民主的とはいえない。
 大人が子どもに教えるべきなのは、「自分と他者の権利をどちらも尊重せよ」ということではないか。「迷惑」と違って「権利」は社会的弱者にも幅広く使われる言葉である。道路の段差をなくすことも、「車いすの人の権利を守る」といえばわかりやすい。
 冒頭の自転車の話に戻ると、自分たちの自転車によって他に公園を使いたい他の人たちの権利が奪われるということに気づかせ、どうすればよいかを考えさせることは、とても大切だ。その際、誰かが一方的に我慢するのではなく、自分も含めたすべての人が公園を利用する権利を同等に享受できるためにはどうすればよいかという視点で考える。全体主義や封建主義ではなく民主主義的な人を育てるのであれば、「迷惑」ではなく「権利」という概念で教える方がよい。
 (本田秀夫・信州大付属病院子どものこころ診療部 診療教授)=第2、4水曜日に掲載します