8畳ほどの細長い部屋が、永嶋聡さん(45)=北杜市=の世界のすべてだった。
大きな窓からベッドに日が差し込む。目が覚めると、足元に積んだ本をよけて机に向かい、ノートパソコンの電源を入れる。
以前、都内の製紙会社に勤めていた。職場で人間関係に悩み、息苦しさが募る日々。ついに限界が来た。携帯電話の「連絡先」から仕事関係者を丸ごと消去し、逃げるように会社を辞めた。中学卒業まで過ごした実家の自室の扉を強く閉めると、楽に息ができるようになった。
それから5年。部屋を出るのは台所と風呂とトイレに行くときくらい。眠くなったらベッドに横になる。起きたらまた、パソコンに向かう。目の前の液晶画面が、社会とつながる唯一の「窓」だ。
検索サイトに、〈ひ〉〈き〉〈こ〉〈も〉〈り〉と打ち込む。体験談や集会の案内が載ったページに飛ぶリンクを見つめる。なぜ自分はひきこもってしまったのか。50代に向かう無職の男に可能性なんてあるのか。ネットの海に答えを探した。
両親は清里でペンションを経営していた。バブル経済の絶頂期。宿泊客は絶えず、二人はいつも忙しく働いていた。中学卒業後、家を出るまでは手伝ったりもした。
その父母も80代後半。ペンションはとうの昔にたたみ、貯蓄と年金で暮らす。舞い戻った当初は会話もあったが、いまは距離を置いた関係が落ち着いている。親にとって40を超した息子がひきこもっているなんて、やるせないんだろう。
腹が減ると台所に行き、残っている材料で食事をつくった。例えば起床後はサラダとハムとスクランブルエッグ。あるとき気付いた。目の前の食材は、すべて親が買ってきたものだ。長年まっとうに働き、得た収入で生きる糧を手に入れている。それに比べて自分は-。以来、夕食は親が取り置いてくれる余り物を食べるようになった。
ひきこもってから3年。20代のころに趣味で集めた占いの専門書を、ネットのオークションに出してみた。思いもよらぬ高値が付いた。出品するたび、飛ぶように売れていく。発送のため、徒歩で片道40分かけて地元の郵便局に通った。よく顔を合わせる局員と、たわいない会話を交わすようになった。細いけれど、何か社会とつながった気がしていた。
「送っていこうか」。顔見知りの局員の一言がきっかけだった。車の運転免許も持っていない惨めな人間と思われている。一瞬で、そう受け止めてしまった。結構ですと、断る声がこわばっているのが分かった。
部屋に戻っても挫折感は膨らみ続けた。このままではいけない。突き動かされるように行動に移った。本を売った金で車を運転できるようになろう。教習所に通い、免許を取った。
最近は親の車を借り、部屋の外に出ることもある。今度、ひきこもり当事者の会が甲府で開かれると聞いた。行ってみようと思う。
どうして前を向けたのだろう。言えることは、人生の半ばを越え、残された時間は決して多くないということだ。
◇
職場で、学校で、家庭で、ある日突然動けなくなり、立ち尽くす。「なぜ」「どうして」。自問自答を繰り返しながら、居場所を探し求める日々。第1部は、ひきこもる人々の日常を追った。〈「扉の向こうへ」取材班〉
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■連載・扉の向こうへ
第1部 どうして私が…①
山梨発 ひきこもりを考える