山梨日日新聞 2008年8月1日掲載
連載・北京で輝け県勢
競泳 加藤ゆか <上>山学大へ進学
新天地に可能性求める
監督と出会い実力が開花
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| 06年のアジア大会で銅メダルを獲得し、記者会見する加藤ゆか(山梨学院大、右)と神田忠彦監督。長所を伸ばすトレーニングで五輪切符獲得につなげた |
愛知・桜丘高2年の3月、JOC全国ジュニアオリンピックカップ(JO)出場で上京した帰りだった。「大学進学を考えていたので、いろいろな大学の練習の様子を見たかった」(加藤ゆか)。仲の良かった先輩を頼って、初めて山梨学院大を訪れた。
神田忠彦監督と話をして「ピンときた。ここに来ようと決めた。新しい一歩を踏み出せそうな気がした」。神田監督との運命の出会いは、北京五輪へ向かう自分の居場所をみつけた瞬間でもあった。
小学校時代にJOで優勝を経験、全国中学校大会でも3位に入った。しかし、高校時代はコーチとの人間関係などに苦しみ、伸び悩んだ。「タイムが出ないとすべて自分のせいにされる。ほめられたことは1度もなかった。コーチから離れたかった」。高校時代はインターハイの4位が最高。全国大会の表彰台に上がれなかった選手は、新天地に新たな可能性を求めた。
量より質
「以前は、苦手なことを克服するためだけに頑張っている感じだった。得意な部分、特長を生かした方がいい」。加藤の筋力から非凡なスプリント力を感じた神田監督は、最大の武器であるスピードに磨きをかけた。
体幹を鍛え、体の軸がぶれない泳ぎを追求し、練習は量よりも質を重視。泳ぎ込む時期もあるが、本数や距離をこなすのではなく、練習では少ない数、短い距離で全力を出し切る。
「あまり長い時間泳がないが中身が濃い。体のダメージは大きいけれど自分には合っている。ベストタイムが出れば、次はもっと縮めたいと思った。水泳が楽しくなった」。泳ぐ喜びを感じながら意欲的に練習をこなすようになった。
国際舞台へ
大学1年の冬に短水路(25メートルプール)50メートルバタフライで日本新。大学2年、2006年の日本選手権50メートルで初優勝した。100メートルでも3位に入り、国際舞台への扉を開いた。同年12月のアジア大会で銅メダルを獲得。07年8月の世界競泳では100メートルで6位に入った。
北京五輪出場権をかけた今年4月の日本選手権100メートルバタフライ決勝。重圧の中で当時の日本記録(58秒62)と五輪派遣標準記録を上回る58秒55の好タイムで泳いだ。2位に入り、五輪切符を現実にした。大学1年だった3年前の日本選手権、同種目(B決勝)のタイムは1分1秒18。その2秒5差の中に大学3年間の努力が凝縮されていた。
大学の門をたたいた時、神田監督と五輪を目指すと誓った。「自分の中では、ほど遠いと思っていた。ただ、一つ一つの試合で自己ベストを更新できたらいいなと思った」(加藤)。一歩ずつだが後退することなく、着実に夢への階段を上がってきた。
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