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プレーバック 山梨の名勝負<9>
樋渡の機転、監督の哲学

2018年04月27日 05時00分
我孫子戦の前日に投球練習を行う市川の樋渡卓哉。ワインドアップの投球フォームを確認した=伊丹市内(1991年8月16日)

我孫子戦の前日に投球練習を行う市川の樋渡卓哉。ワインドアップの投球フォームを確認した=伊丹市内(1991年8月16日)

我孫子の4番・荒井との対戦について「荒井君のところで切れば流れを断ち切れる。力を入れて投げた」と話す樋渡卓哉=甲斐市内

我孫子の4番・荒井との対戦について「荒井君のところで切れば流れを断ち切れる。力を入れて投げた」と話す樋渡卓哉=甲斐市内

 1991年夏。4強入りした、春のセンバツ甲子園の再現を期待する声が高まる中、市川のエース・樋渡卓哉はどこか冷めた目で周囲を眺めていた。
 センバツが終わった後、右足のすねに痛みを感じた。何日たっても痛みは取れない。診察を受けると、すねの骨が疲労骨折していた。「春から夏にかけて、周り(の選手)は体も大きくなって右肩上がりになっていく。でも僕は現状維持が精いっぱい。夏は(甲子園は)いけないと思っていた」...