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「みかん酒」醸造の歴史に新説
~ヴィンヤードの贈り物

2018年01月02日 05時00分
高野正誠が造った「みかん酒」

高野正誠が造った「みかん酒」

シャトー・メルシャンワイン資料館長の上野昇さん

シャトー・メルシャンワイン資料館長の上野昇さん

 明治10(1877)年に大日本山梨葡萄酒会社(メルシャンの前身)からワインの本場フランスに派遣された高野正誠は、帰国後間もなくして全国有数のミカン産地、和歌山県有田市でのみかん酒製造に技師として深く関わっていた―。そんな新説を、シャトー・メルシャンワイン資料館(甲州市)館長の上野昇さん(67)が提示。「みかん酒を明治10年代に製造販売していたのは意義深い」として調査を進めている。

 大日本山梨葡萄酒会社は明治10年に設立された日本で初めての民間ワイン会社。同年10月、祝村(現甲州市勝沼町)出身の高野と土屋龍憲の2人の青年がフランス留学に旅立った。帰国した12年、同社はワイン醸造を行い本格的な活動を始めた。上野さんは、2人がフランスに渡って140年の節目に当たることから、関連する歴史の調査を進めている。

 上野さんによると、明治15年の会社収入にぶどう酒などのほか、みかん酒の売り上げも計上。ぶどう酒販売が芳しくなく、売り上げ補填(ほてん)としてみかん酒を製造していたという。高野は14年、有田郡(現有田市)でのみかん酒会社「安諦社(あでしゃ)」の創立に前田正名(政府高官)とともに株主として参加。これまでは、19年の大日本山梨葡萄酒会社の解散を機に、高野が安諦社の醸造技師として参画したとの見方が一般的だった。

 新説を立てたのは、上野さんが有田市誌から記述を見つけたのがきっかけ。それによれば、明治12年にミカンが大豊作となり、地元住民らが安諦社を設立した。高野が招かれ、みかん酒の研究に着手。試行錯誤の末、ほぼ目的に近い品質に達し、14年から本格的に事業を進めた。しかし、苦味が強く思いのほか不評で、結局20年に廃業した。

 また、別の文献では、明治13年に有田郡で初めてみかん酒を製造し、当時の和歌山県令から大蔵省に課税伺書が出たとする記述もあった。

 上野さんは「高野は早い段階で安諦社に一時的に技師として働いていたことになり、大日本山梨葡萄酒会社でのみかん酒の製造は、ワイン会社の売り上げ補填と有田のみかん酒製造の試作も兼ねていた可能性がある」とみている。

 さらに、当時、フランス帰りの高野と土屋の2人は全国的に名が知れ、山梨県にとどまらない広がりを持っていたとも推察。「これまで研究されていなかったことが少しずつ分かってきた。継続して調査していきたい」としている。
〈日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート・古畑昌利〉