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<85>健全な「我慢」を学ぶ

2017年01月11日
石の上にも三年

石の上にも三年

 「我慢しなさい」と「諦めるな」は、大人たちが子どもに求めることのなかでも東西の横綱格と言ってよい。「ここが我慢のしどころだ」というのは、今はつらいけれどここを切り抜けるとゴールが見えてくる、という状況で使われる言葉だ。この場合、「我慢する」とは「諦めない」ということである。一方、自動販売機の前でジュースを買ってほしいと騒ぐ子どもに対して親が「我慢しなさい」という場合はどうだろうか? このときの「我慢する」は、「ジュースを諦める」という意味だ。このように、我慢には、諦めずに我慢する場合と、諦めて我慢する場合とがある。
 「我慢する」とは、嫌なことやつらいことと、うれしいことや楽なことがあるときに、後者をとらずにあえて前者を選ぶことである。一方、「諦める」とは、希望、要求、目標を断念することである。将来何かを得るための一時的な我慢は諦めないことの表れだが、将来展望のない我慢はすなわち諦めた印である。
 我慢することと諦めないことの両者がうまくかみ合うとよいのだが、実際にはそう簡単にはいかない。子どもでは、将来的な見通しをもって目標を立てることや、その目標を達成したいという気持ちを維持することが難しい。だから、大人からいつも「我慢しろ」と言われて自分の希望が満たされない状態が続くと、将来の展望を失って「自分が何を望んでもどうせかなわない」と諦めてしまう。我慢は比較的簡単にできるが、諦めない気持ちを維持して大人になるのは難しい。
 わが国には、「みんなも我慢しているから」という理由で我慢する習慣がある。学校でこの習慣を教える教師すら存在する。将来どんな目標が達成されるのかが不明確なのに、みんなも我慢しているというだけの理由でただ我慢だけさせるというのは、理不尽だ。我慢せず、みんなでもっと楽しいことやうれしい結果の出るような目標に向かう方がよほど建設的なのに、と思うのは、僕だけだろうか? その方が意志の強さを身につけやすいと思うのだが。
 「みんなも我慢しているから」などの理不尽な理由で我慢を強いる場合、我慢を教えること自体が目的となっている。それは結局、諦めの早い人格形成につながってしまう。我慢は人が教えるものではなく、自分で学ぶものだ。教えるべきは、目標を立てて、その達成のために自分でいろいろと工夫するという姿勢。途中で困難な場面に出合った時、本当に必要不可欠だと本人が判断したら、そこで初めて健全な我慢を学ぶことができる。
(本田秀夫・信州大付属病院子どものこころ診療部 診療教授)

「ドクター本田のにじいろ子育て」は第2、4水曜日に掲載します