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上野電子・上野政巳社長<1>
高校で生徒会長、統率力に磨き

2016年03月14日 11時32分
半生を語る上野電子の上野政巳社長

半生を語る上野電子の上野政巳社長

幼少期の上野政巳社長

幼少期の上野政巳社長

 1953年3月13日に、北巨摩郡明野村(現北杜市明野町)の貧しい農家の三男として生まれました。3歳の時、母親は田植えがきっかけで感染症にかかり亡くなってしまいましたが、義母が私を育ててくれました。

 体が小さかったため、小学校に入学した時は、上級生にいじめられることもありました。悔しいという思いを募らせながら頑張り、何があっても負けない根性が付いたと思います。

 小学3年生の時、新聞配達のアルバイトを始めました。朝5時過ぎに起きて新聞を受け取り、3キロほどを走って新聞を配っていました。土日も関係なく毎日やっていましたが、月の給料は240円ぐらいでした。現在の価値に換算すると6千円ほどです。お金は全て家に入れていました。放課後、学校から家に帰ると、畑の草刈りや家で飼っている豚の世話などをしなければならず、遊ぶ時間はありませんでした。

 峡北高校(現北杜高)在学中に大きな転機が訪れました。3年の時、先生からの推薦もあり、生徒会長に当選したのです。当時は、大学生の政治的活動が盛んで、その余波は高校にも及んでいました。無断で授業をボイコットする生徒もいて、県内でも荒れている高校として有名でした。そんな学校を平和にしたい、という思いで、生徒会長になることを決意しました。

 生徒会長になると、全校生徒1200人以上の集団の前で演説することも多く、その経験から、どんなことにも動じない度胸がつきました。多くの生徒を引っ張っていくリーダーシップを学ぶのにも役立ちました。この時の経験が将来、社長として会社を引っ張っていけるという自信につながったのだと思います。

 高校では生徒会長としての活躍が評価され、大学への推薦入学が決まっていました。しかし、家は相変わらず貧乏でした。ある日の晩、父と母が話し合う声が聞こえてきました。「大学に行くのには200万円かかる。そんな金が一体どこにあるのか」という母の声。

 3歳の時から本当の息子のようにかわいがってくれた母に負担をかけるようなことはしたくない。両親には話を聞いてしまったことを告げず、大学への推薦を辞退して、働くことにしました。この時、母のために家を継ごうと固く決心しました。〈聞き手・山本昂輝〉

                    ◇

 県内関連の企業経営者に半生を語ってもらい、その成功の秘訣(ひけつ)に迫ります。次回はあす15日に掲載します。

■上野電子
 半導体製造装置や医療機器パーツの組み立て、ケーブル加工などを行う。従業員数130人。創業1972年3月10日。韮崎市水神2丁目。