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ジットグループ・石坂正人社長<1>
見返す気持ちで学業に励む

2015年10月15日 11時00分
半生を語る、ジットグループの石坂正人社長

半生を語る、ジットグループの石坂正人社長

体が弱く、入院を繰り返していた幼少期の石坂正人社長

体が弱く、入院を繰り返していた幼少期の石坂正人社長

 1964年、東京オリンピックの年に鰍沢町(現富士川町)に生まれました。生まれつき体が弱く、小児ぜんそくがあったため、父母が環境のいい山の中で育てようと、生まれてすぐに同町の大法師山に住みました。それでも毎年入院を繰り返し、とても泣き虫でした。家庭の台所事情は厳しく、6畳と8畳間だけの家でお風呂もなし、という環境で育ちました。

 転機は小学校4年のときです。ある日の朝刊で父が報道されました。その日は学校に行くのがとても嫌でした。それでも母に「お父さんはお父さん。あなたは関係ない。学校に行きなさい」と言われ、いつも通り、2つ下の弟と学校に向かいました。

 通学途中に他の家の前を通るたびに大人が、私たちを指さして「あの兄弟とは遊ぶな」「話をするな」と言うのを耳にしました。弟は泣いて、学校でもいじめられました。一生懸命、素直に生きているのに、なぜ自分たちがそんなことを言われなければならないのか。その時、私は自分で自分の気持ちを変えました。

 将来、山梨で大会社の社長になって、自分たちをさげすんだ大人たちを見返そう。建築会社を作って、山梨県内に大きな家を建てよう―。そう決意しました。その当時、山梨県で一番になるためには甲府市に行かなければだめだと思い、小学生ながらに甲府工業高校の建築科に行こうと決めました。

 甲府工高の建築科に行こうと決め、勉強に力を入れ始めました。朝と夜にそれぞれ30分から1時間、毎日勉強しました。遊びたいときもありましたが、悔しい思いを胸に勉強に励んだ結果、それまで普通だった成績が中学に入学するころには学年トップクラスになりました。

 先生にも、この点数なら甲府工高の建築科に合格できると太鼓判を押されました。しかしその時は父がおらず、母は昼も夜も働き、子ども2人の面倒を見ていました。その母から、鰍沢から甲府に行くには電車代がかかる、近くにある学校に行ってほしいと言われました。

 しかし私は、将来社長になる夢が捨てきれません。そんな私に、担任の先生は奨学金の存在を教えてくれました。奨学金のため、先生に付き添われて山梨大でテストや面接を受け、見事に合格。3年間の学費と交通費を貸してもらえることになりました。何事も諦めなければ夢は必ずかなう、と実感したのはこのときでした。
〈聞き手・市川和貴〉


県内関連の企業経営者に半生を語ってもらい、その成功の秘訣(ひけつ)に迫ります。=毎週木曜日更新。次回は22日に掲載します。

■ジットグループ
 リサイクルインクの製造などを手掛けるジット(1991年設立、南アルプス市和泉)、葬祭業のジットセレモニー(1996年設立、甲府市高畑2丁目)で構成。総従業員数220人。